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概説
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清華大学は1911年に創設された清華学堂を前身とする国立大学である。14学部、55学科、教職員7,000人、学生30,000人を擁する総合大学である。清華大学は常に北京大学と大学ランキングを争っており、ここ数年は毎年1位である。
もともとは文系、理系をともに持つ総合大学であったが、1950年代の全国的な大学再編の際に文系学部を他大学に移し、理系中心の大学となった。改革解放後は文系学部を復活させ、分離両分野を持つ総合大学となったが、今でも理系学部に強みを持ち、中国のMITと称される。
朱鎔基元首相、胡錦涛現国家主席、習近平現国家副主席をはじめとして、中国各界に多彩な人材を輩出している。 |
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基本データ
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英語表記:Tsinghua University
住所:北京市海淀区中関村大街
電話番号:+86-10-6278-5001
サイトURL:http://www.tsinghua.edu.cn
創立:1911年
所属官庁:教育部
211工程:対象
教職員数:6,945人
中国人学生数:31,395人
留学生:
図書館蔵書:300万冊
敷地面積:196万平米
総合ランキング:1位(2008年度中国大学排行榜調べ) |
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略歴
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清朝末期の1900年06月20日に勃発した義和団の乱は、1901年09月07日に北京議定書が締結されて終結した。この議定書によって清朝に課せられた賠償金総額は4億5000万両であった。支払いは39年の分割払いとされ、年利は4%であったため、利息を含めた支払い総額は9億8000万両に達した。これは当時の清朝の年間歳入8800万両の実に11倍に上るものであった。この過酷な賠償金請求に対して、国内のみならず国際的にも批判が起き、賠償金を受取った参戦国の中から清朝に返還する動きが広がった。
1904年、駐米清国公使であった梁誠は、米国国務長官ジョン・ヘイの米国に対する賠償金が多すぎるという発言をとらえ、米国政府に賠償金の減免を働きかけるとともに、1905年05月には清国外交部に対し、返還される賠償金を教育に当てると米国政府に表明するよう求めた。
こうした動きの中で、1906年、米国イリノイ大学学長ジェームス・エドモンドは米国大統領セオドア・ルーズベルトに対し、知識面、文化面で中国支配を進めること、米国文化が広がった上で商業的メリットが開花するわけであり、それに資金を投じるべきであると進言している。また、米国人宣教師スミスも帰国時にルーズベルトに接見し、賠償金返還を教育に充てるよう求めている。
1907年12月3日、ルーズベルトは議会に賠償金の返還法案を提出した。この中で対米賠償金2,444万ドルのうち未払いの1,078万ドルを、1909年から40年までに月払いで返還すること、返還する賠償金は中国政府が中国人学生の渡米留学に充てることが定められた。法案は翌1908年05月25日に議会にて可決された。
法案可決の知らせは同年07月11日に駐華米国公使ウィリアム・ロックヒルから清朝政府に通達された。07月14日に清朝政府外務部長、慶親王は賠償金返還への謝辞と、留学生派遣の承諾を表明。同日、外務部は最初の4年間で毎年100人、5年目から賠償金返還終了までは毎年最低50人の学生を派遣することを米国公使館に通達した。
同年10月28日、清朝政府外務部尚書であった袁世凱は「派遣游美学生規定草案」を発布した。この中で、留学生の8割は工業技術などの理系科目、2割が法律、政治を学ぶこととともに、米国留学への訓練学校を設置することが定められた。ここに清華大学の前身が萌芽する。
1908年12月28日には賠償金返還法案にルーズベルトが署名し、翌09年01月01日から賠償金返還が始まることが正式に決まった。
1909年07月10日、宣統帝は一連の米国留学の詳細を批准した。この中で、北京に「游美学務処」を開設し、留学生の選抜、派遣などを行うこと、「肄業館」を附設し、留学生候補の教育を行うことが定められた。また、この肄業館はアメリカの学校をモデルとし、20歳以下を100人、15歳以下を200人、合計300人を収容することも決められた。游美学務処は直ちに北京紫禁城東の侯位胡同の民家を借りて開設され、その後、史家胡同に移転した。
游美学務処は1909年09月に最初の訪米留学生の選抜を行い、47名の合格者が10月に米国に渡った。1910年07月には第2回の選抜を行い、8月に70人が渡米した。またこの時に肄業館への選抜試験も行われ、143人が入学許可を得た。これ以外にも2回の試験が行われ、第一期生468人の入学が年内に決まった。
1909年09月30日には清朝のかつての庭園であった清華園の一部を游美学務処にわたし、ここに肄業館を建設することが決まった。さらに1910年12月には翌11年春に肄業館を開校すること、そして開校時の名称を「清華学堂」とすることなどが決められた。
1911年04月に建物が竣工し、04月29日、清華学堂は正式に開学した。しかし、10月に辛亥革命が勃発すると、清朝政府はその年の米国からの賠償金返済を軍費に充てることを決めた。経費を経たれた清華学堂は11月09日に閉校した。
1912年に中華民国が成立すると、同年05月に清華学堂は再開された。また、10月には校名が清華学校と改称された。
1928年には南京政府により国立清華大学と改称されたが、この時期には中国文学、政治学、物理学、化学など14学系を擁する総合大学となっている。
日本軍による北京進出が激しさを増した1935年、清華大学は湖南省長沙市への移転を決め、校区の建設を始めた。同年冬からは書籍、研究機器などの湖北省武漢市への疎開を始めた。1937年に日中戦争が勃発すると、08月28日国民党政府は、清華大学、北京大学、南開大学の3校を長沙に移転統合することを決めた。10月には長沙に移動し、10月25日に3校を統合した国立長沙臨時大学に改組した。
同年11月12日に上海、12月13日に南京が陥落し、日本軍の内陸への転戦が危惧されるに至り、国民党政府は国立長沙臨時大学を雲南省昆明市に移転することを決めた。翌1938年02月から移転作業が開始され、1938年04月02日に国立西南聯合大学が成立した。終戦後の1946年に西南聯大は北京、天津に戻り、10月10日に国立清華大学が復校した。
1950年前後には文系学部を分離、他校の理系学部を併合し、理系総合大学としての現在の地歩を築く。改革解放後の80年代以降は、文系学部を次々に復活させ、2000年代に入ると医学部を増設し、総合大学として現在に至る。 |
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年表
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1900年06月20日 1901年09月07日 1908年05月25日 1907年10月28日 1909年07月10日 1909年07月20日 1910年12月 1911年02月 1911年04月29日 1911年11月09日 1912年04月07日 1912年05月01日 1912年10月17日 1928年08月17日 1937年10月 1937年10月25日 1938年03月15日 1938年04月02日 1938年08月23日 1940年08月 1941年08月31日 1941年10月22日 1946年08月 1946年10月10日 1949年07月26日 1949年09月15日
1950年 1952年02月04日
1952年07~08月
1952年07~08月 1952年08月19日 1952年08月19日
1953年09月01日
1953年09月01日
1953年09月01日
1984年 1984年 1988年 1993年 1994年04月22日 1996年01月30日 1999年 1999年11月20日 2000年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年
2006年 |
義和団の乱勃発 北京議定書締結 米国議会、賠償金返還法案可決 清朝外務部、派遣游美学生規定草案発布
「游美学務処」、「肄業館」開設決定
「游美学務処」開設
肄業館開設時に名称を「清華学堂」とすることを決定 游美学務処、清華園に移転
肄業館を「清華学堂」に改称して創設 閉校 游美学務処を閉鎖し、清華学堂に業務移管
復校
「清華学校」に改称
「国立清華大学」に改称 湖南省長沙市に移転
北京大学、南開大学と統合し「国立長沙臨時大学」に改称 文、法学院が雲南省蒙自県に分校設置
雲南省昆明市に移転し「国立西南聯合大学」に改称 蒙自分校を昆明本校に統合 四川省叙永県に分校設置(1年生が移転) 叙永分校を昆明本校に統合 雲南省教育庁英語専修科を編入 師範学院を分離し、昆明師範学院を創設
北京市に移転し「国立清華大学」復校
国立清華大学法律系を国立北京大学に編入
国立清華大学農学院を国立北京大学、華北大学、輔仁大学の各農学院と統合し「北京農業大学」に改組
「清華大学」に改称
北京大学、燕京大学の建築系、土木系、化工系を清華大学に編入
北京大学、天津大学、中国砿業学院、唐山鉄道学院の地質系を清華大学に編入
清華大学化学工程系を天津大学に編入
清華大学文、法、理学院を北京大学等に編入
北京大学工学院、燕京大学工学院を清華大学に編入
清華大学航空学院を他大学の航空系と統合し「北京航空学院」に改組
清華大学鋼鉄学院を他大学の鉄鋼系と統合し「北京鋼鉄学院」に改組
清華大学石油工程系を他大学の石油系と統合し「北京石油学院」に改組 経済管理学院を設置 理学院を復活 建築学院を設置 人文社会科学院を設置 信息科学技術学院を設置 機械工程学院を設置 法学院を復活
中央工芸美術学院を清華大学に編入 土木水利学院を設置 公共管理学院を設置
医学院を設置 新聞与伝播学院を設置
酒仙橋医院、玉泉医院を清華大学に編入 航天航空学院を設置
清華大学医学院を中国協和医科大学と統合し「清華大学北京協和医学院(清華大学医学部)」と改称 |
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校訓
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清華大学の校訓は「自強不息,厚徳載物」である。 |
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校徽
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清華大学の校徽は下のものである。
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旧校歌
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清華大学旧校歌
作詞:Katherine E. Seelye
O come and join our hearty song,
As proudly here we stand; For Tsing Hua College let us sing, The best in all the land. We'll spread her fame and win a name, And put our foes to shame,
If you don't agree, come on and see, And you will say the same, the same, And you will say the same. O Tsing Hua, fair Tsing Hua,our College bright! May we be loyal to the Purple and the White. O Tsing Hua, fair Tsing Hua, our College pure,
We are loyal, We're faithful, we stand for you. |
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現校歌
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清華大学現校歌
作詞:汪鸞翔
作曲:張慧珍
制定:1927年
1.西山蒼蒼,東海茫茫,吾校庄厳,巍然中央,
東西文化,薈萃一堂,大同爰躋,祖国以光。
??学子来遠方,??学子来遠方,
春風化雨楽未央,行健不息須自強。
自強,自強,行健不息須自強!
自強,自強,行健不息須自強!
2.左図右史,?架巍巍,致知窮理,学古探微,
新旧合冶,殊途同帰,肴核仁義,聞道日肥。
服膺守善心无違,服膺守善心无違,
海能就下衆水帰,学問篤実生光輝。
光輝,光輝,学問篤実生光輝!
光輝,光輝,学問篤実生光輝!
3.器識其先,文芸其从,立德立言,無問西東。
孰介紹是,吾校之功,同仁一視,泱泱大風。
水木清華衆秀鐘,水木清華衆秀鐘,
万悃如一矢以忠,赫赫吾校名無穹。
無穹,無穹,赫赫吾校名無穹。
無穹,無穹,赫赫吾校名無穹。 |
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学部・専攻
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建築学院
建築学 建築環境与設備工程
土木水利学院 土木工程 工程管理 水利水電工程
機械工程学院 機械工程及自動化 測控技術与儀器 微機電系統工程 機械工程及自動化 工業工程 能源動力系統及自動化 車輌工程 汽車車型与車身設計
航空航天学院 工程力学 熱能与動力工程 航空宇航工程
信息科学技術学院 電子信息工程 電子科学与技術 微納電子学 計算機科学与技術 自動化 計算機軟件
電気工程与応用電子技術系
電気工程及其自動化
環境科学与工程系 環境工程 給水排水工程
化学工程系 化学工程与工業生物工程 高分子材料与工程
材料化学与工程系
材料科学与工程
医学院 生物医学工程 臨床医学
理学院 数学与応用数学 信息与計算科学 物理学 数理基礎科学 化学 化学生物学 生物科学 生物技術
経済管理学院 経済与金融 会計学 信息管理与信息系統
人文社会科学院 中国語言文学 歴史学 哲学 社会学 経済学 国際関係 英語 日本語
法学院
法学
新聞与伝播学院
新聞学 |
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教育研究機関
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清華大学高校徳育研究中心
清華大学現代管理研究中心
清華大学技術創新研究中心
清華大学科技教育発展戦略研究中心
清華大学中国発展規劃研究中心
清華大学中国科技政策研究中心
清華大学応急管理研究基地
清華大学高等研究院
清華大学周培源応用数学研究中心
清華大学公共安全研究中心
清華大学能源環境経済研究所
清華大学持久性有機汚染物研究中心
清華大学建築与城市研究所
清華大学天体物理中心
清華大学原子分子納米科学研究中心
清華大学交通研究所
清華大学3S中心
清華大学汽車研究所
清華大学微米納米技術研究中心
清華大学体育与健康科学研究中心
清華大学科学技術与社会研究中心
清華大学語言学研究中心
清華大学亜洲研究中心
清華大学道徳与宗教研究中心
清華大学科学技術史曁古文献研究所
清華大学環境資源与能源法研究中心
清華大学芸術与科学研究中心
清華大学中国経済研究中心
清華大学台湾研究所
清華大学宇航技術研究中心
清華大学マルクス主義研究中心
清華大学教育研究所
清華大学国際伝播研究中心
清華大学国際問題研究所
清華大学中国科技政策研究中心
中国科学院-清華大学国情研究中心
清華大学電力電子工程研究中心
清華大学導航技術工程中心
清華-富士康納米科技研究中心
清華大学文科産業研究中心
清華大学高能物理研究中心
清華大学燃気輪機研究中心
清華大学中国与世界経済研究中心
清華大学中国考古与芸術史研究所
清華大学網絡行為研究所
清華大学中国発展規劃研究中心
中国科協-清華大学科技伝播与普及研究中心
清華大学建築節能研究中心
清華大学跨境河流水与生態安全研究中心
清華大学マルクス主義新聞学与新聞教育改革研究中心
清華大学全球環境研究中心
清華大学エイズ総合研究中心
清華大学理論計算機科学研究中心
清華大学材料科学与工程研究院
清華大学生命科学与医学研究院
清華大学思想文化研究所
清華大学中国金融研究中心
清華大学老年学研究中心
国家文化産業研究中心
清華大学中国車用能源研究中心
清華大学清潔生産和循環経済研究中心
清華大学移動計算研究中心
清華大学-バークレー心理学研究中心
清華大学日本研究中心
清華大学イスラエル・エプスタイン研究中心
清華大学出土文献研究与保護中心
清華大学中国財政税収研究所
清華大学薬物研発中心
清華大学安全与防護研究発展中心
清華大学工程教育研究中心
清華大学信息技術研究院
北京清華工業開発研究院
シンセン清華大学研究生院
河北清華発展研究院
浙江清華長三角研究院
公共管理学院
マルクス主義学院
美術学院
生命科学学院
核能与新能源技術研究院
体育部
芸術教育中心
継続教育学院
研究生院 |
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管理部門
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党委弁公室
組織部
宣伝部
統戦部
学生工作部
武装部
研究生工作部
保衛部
離退休工作部
紀律検査委員会
共青団清華大学委員会
工会
街道弁事処
校長弁公室
政策研究室
信息服務室
国際合作与交流処
新聞中心
教務処
学生工作処
科研院
学科建設弁公室
文科建設処
人事処
教育培訓管理処
保衛処
財務処
監察室
審計室
実験室与設備管理処
房地産管理処
基建規劃処
后勤管理処
档案館 |
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党委書記
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氏名
性別
出生
民族
学歴
職歴 |
胡和平 男
1962年10月 山東省臨沂市生まれ 漢族
1986年07月 清華大学水利工程系卒
1990年 清華大学水利水電工程系修士
1995年09月 日本東京大学土木工程系博士
1986年07月 清華大学教員
1995年10月 日本INA株式会社河川計画部
1996年12月 清華大学水利水電工程系教員
2000年01月 清華大学土木水利学院党委書記
2002年11月 清華大学党委組織部部長
2003年09月 清華大学教務処処長
2004年08月 清華大学人事処処長兼人材資源開発弁公室主任
2006年02月 清華大学副校長
2006年09月 清華大学党委常務副書記兼組織部長、副校長
2007年03月 清華大学党委常務副書記、副校長
2007年12月 清華大学党委常務副書記
2008年12月 清華大学党委書記 |
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校長
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氏名
性別
出生
民族
学歴
職歴 |
顧秉林 男
1945年 黒龍江省ハルビン市生まれ 漢族
1970年 清華大学工程物理系卒
1979年09月 清華大学工程物理系修士 1982年 デンマークオーフス大学博士 1970年 清華大学教員 2000年03月 清華大学研究生院院長 2001年03月 清華大学副校長 2003年04月 清華大学校長 |
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歴代党委書記
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1949年~1950年
1950年~1953年
1953年~1956年
1956年~1966年
1977年~1982年
1982年~1984年
1984年~1988年
1988年~1995年
1995年~2002年
2002年~2008年
2008年~ |
彭珮雲
何東昌
袁永熙
蒋南翔
劉達
林克
李伝信
方惠堅
賀美英
陳希
胡和平 |
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歴代校長(院長)
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1911年~1912年
1912年~1913年
1913年~1918年
1918年~1920年
1920年~1921年
1922年~1927年
1928年~1928年
1928年~1930年
1931年~1931年
1931年~1937年
1938年~1948年
1948年~1949年
1949年~1952年
1952年~1952年
1952年~1966年
1978年~1983年
1983年~1988年
1988年~1994年
1994年~2003年
2003年~ |
周自斎
唐国安
周詒春
張煜全
金邦正
曹雲祥
温応星
羅家倫
呉南軒
梅貽琦
梅貽琦
馮友蘭
葉企孫
劉仙洲
蒋南翔
劉達
高景徳
張孝文
王大中
顧秉林 |
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キャンパス
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本部キャンパス
住所:北京市海淀区中関村大街 |
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国内
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清華大学の国内対外関係について特記事項はない。 |
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国外
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清華大学は前身の清華学堂が赴米留学生養成機関であった伝統を受け継ぎ、全方位的かつ重層的な国際協力関係の樹立に積極的に取り組んでいる。数多くの世界の一流大学との間で協力提携を締結し、戦略的パートナーシップ関係を結ぶことで、学生の国際性の育成を進めている。毎年数多くの世界的研究者が清華大学で講義を行っているほか、各国の要人、国際企業の経営者もその多くが清華大学で講演を行っている。清華大学との間でハイレベルな技術協力を展開している海外の著名大学、企業も枚挙に暇がない。
また清華大学は毎年多くの教員、学生を世界各国に派遣して国際的な学術交流を進めているほか、清華大学で学ぶ外国人留学生も年々増加している。 |
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清華大学出版社
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清華大学出版社は1980年6月に設立された清華大学傘下の出版社である。清華大学出版社は世界有数の一流大学傘下の出版社として高水準の教材、学術書の発刊に当たっており、清華大学出版社の教材を使用する中国の大学は百数十校に上る。
中でもコンピュータに関する出版物は清華大学出版社を代表するものである。1980年代末にインターネットによる情報のグローバル化が展開された際、清華大学出版社はいち早くコンピュータ関連図書の市場に参入し、この市場での中国での先駆者の役割を果たした。清華大学出版社がこの20余年で世に出したコンピュータ関連図書は2,000点に及ぶ。その約半数がコンピュータに関する各種教材であり、小中学校から専門学校、大学に至る各段階でのコンピュータ教育をカバーするラインナップを形成している。「清華大学計算機系列教材」、「世界著名大学計算機教材精選」、「計算機軟件水平考試和資格考試用書」、「計算機軟件入門与提高系列」などはコンピュータを学ぶものにとって必携の書とされるほどのブランド力を持っている。 |
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清華大学図書館
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清華大学の前身である清華学堂が創設された1年後の1912年、清華学校と改称されるのに合わせ設立された小規模の図書室が清華大学図書館の前身である。当時の名称は「清華学校図書室」であった。
現在、清華大学図書館は閲覧室16室、閲覧席2,000席で、蔵書は300万冊を超える。 |
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清華大学附属医院
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清華大学附属医院は清華大学第一附属医院(北京華信医院)と清華大学第二附属医院(清華大学玉泉医院)の二院からなる。
清華大学第一附属医院(北京華信医院)は1959年2月に国家信息産業部の附属医院として開設された。その後、電子総医院、401医院などと改称され、2003年4月に清華大学の附属医院となった。大学附属医院として心臓、泌尿、消化の3学科についての教育機関としての機能を持つほか、38の診療科と2つの研究室を持つ。職員は1,100人で医師はそのうちの800人である。
清華大学第二附属医院(清華大学玉泉医院)は1983年12月に開設され、その後2003年4月10日に清華大学の附属医院となった。建築面積は5万平方メートルで、ベッド数は500床、職員は600人である。神経科、内科、小児科、外科など数多くの診療科を持ち、北京赤十字会の救急医療施設も設置されている。 |
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河北清華発展研究院
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河北清華発展研究院は2002年8月12日に清華大学と河北省政府との共同で設立された。主に河北省の地域経済振興を任務としている。 |
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定期刊行物
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清華大学学報(哲学社会科学版)
清華大学学報(自然科学版)
清華大学学報(自然科学版)網絡・預覧
Tsinghua Science and Technology
清華大学教育研究
世界建築
実験技術与管理
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